投稿

1月 5, 2021の投稿を表示しています

「マーケティング部門で」

イメージ
  香港在勤で一番充実し楽しかったのは一九八七年一二月からのマーケティング部門担当の二年半であった。一九八八年二月には最大の取引先である K 社の役員と共に販売先の汕頭を O 副董事長と共に訪問した。そして廣安銀行と富士銀行との合弁二〇周年記念パーティ、毎旧正月における百近くのテーブルに顧客を招待してのスプリング・ディナー、我が家にマーケティング部門のメンバーと家族を招待しての旧正月の接待。オーナー役員とのタイへのビジネス旅行、マーケティング部門の上海蟹パーティ、行内サッカー大会での優勝、ドラゴン・ボートの応援、マカオ・広州・東莞への工場見学を兼ねたビジネス旅行など、思い出は数えればきりがない。 歴史的な事件としては、何といっても一九八九年六月四日の天安門事件であった。 Spring Dinner

「香港での勤務」

イメージ
二度目の海外勤務となった。一九八七年五月に、まずは引継の為に一週間香港へ出向いた。啓徳空港が近づき、町の家並みがはっきりとわかるようになる。まさに印象は雑然とした街だ。一階が商店街で二階以上が住居階となっているらしいビルが多く、そのほとんどが窓から洗濯物を吊り下げている。 出向先の廣安銀行は地場銀行であり、セントラル地区の中央市場のそばにその本店があった。私の担当業務は当初はコーポレイト・プラニング部であったが、後にマーケティング部、そして審査・国際部門と三つの協理( CHIEF MANAGER )を担当した。 住居は日本人学校から近い塞西湖(チョイサイウー)の寶馬山道(ボウマーサントウ)にあるブレーマー・ヒルズという高層マンションである。マンションは三十七号棟(サムサップチャホウ)であり、その二〇階の B 室が我が家であった。 啓徳空港を見下ろす リビングルームのテラスからは、正面真下に啓徳空港を見下ろすことができ、飛行機の発着するのが見えた。眺望は素晴らしかった。