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12月 31, 2020の投稿を表示しています

「ハロウィーン」

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一九七六年の一〇月にはハロウィーンで、長男も初めて仮装してミッキー・マウスとなり、 TREAT OR TRICK でお菓子を沢山もらってきた。またクリスマスも、オーク・ヒル・ファミリーで賑やかにパーティを開いて楽しんだ。   ハロウィーン

「ナイアガラからレイク・プラシッド 」その2

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  次の日はカナダの首都であるオタワに行き、国会議事堂や運河などを観光する。ニューヨークも東京と比べると湿度が低いが、カナダの都市はいずれも湿度が低いので、空気が澄んでおり、写真の風景が見事に再現される。オタワで宿泊したのはホテル・シャトー・ローリエであったが、現在は Fairmont Château Laurier と名前が変わっているようである。 オタワからモントリオールに向かう。北米一のステンド・グラスと言われるノートルダム聖堂、パリの風情が漂うオールド・モントリオール、万国博覧会の跡地の公園、オリンピック公園などを巡った。因みにトロントとオタワはオンタリオ州であるが、モントリオールはケベック州でフランス語圏であり、道路標識なども、モントリオールでは英語とフランス語が併記されていたと思う。ケベックの町には、まだ単身赴任の時期に遊びに行ったが、ケベックへ向かう途中から道路標識がフランス語のみになった記憶がある。ケベックでは、シャトー・フロンテナックというホテルがイギリスの女王陛下もお泊りになるホテルとして有名であり、まさにシャトーという名の通りの立派な建物であった。モントリオールから南下して、ニューヨーク州の北部にあるレイク・プラシッドに到着する。ここは一九三二年に冬季オリンピックを開催した場所であり、また次回の一九八〇年に第二回目の冬季オリンピックが予定されているところである。九月なのに寒くて長男にもセーターを着せたほどであった。ミラー・レイクの近くのモーテルに泊まる。 Lake Placidにて

「ナイアガラからレイク・プラシッド 」その1

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  一九七六年の七月には担当業務はオペレーションの PAYING & RECEIVING SECTION となり、そこでは業務上のトラブルで思わぬ苦労をした。帰国までこのオペレーションで勤めることとなる。  プライベートでは一九七六年の六月には、長男を連れて初めて YANKEE  STADIUM に野球の観戦に行った。長期休暇は九月に取得して、 I 家、 T 家とご一緒にキャッツキルに泊まって、子供たちを預けて、大人はゴルフを楽しんだ。 そこから我が家は NEWYORK THROUGH WAY を北上して、ナイアガラの米国側に着いた。カナダ側のスカイロン・タワー・レストランでランチを食べて、カナダ側のナイアガラ瀑布を見た。巨大な幅広い水のベルトが目の前を真っ逆さまに落ちてゆく様は、筆舌に尽くし難い。滝壺のあたりでは霧の乙女号 MAID OF THE MIST が瀑布すれすれに航行している。エルトン・ジョン風のサングラスをかけて、まさにその当日に二、三歩生まれて初めて歩いた長男には、ナイアガラ瀑布を見た記憶は残らないであろう。 ナイアガラからトロントの町に入り、市庁舎、オンタリオ州議事堂、白亜の豪華な邸宅 CASA ROMA を見て回り、セント・ローレンス川沿いに車で走って、サウザンド・アイランドのコテージ風の宿に泊まる。 ナイアガラ瀑布