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12月 25, 2020の投稿を表示しています

「太田 蜀山人の狂歌」

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大學ではサッカー部に入ったが、サッカー部時代の合宿生活で、印象深い思い出がある。合宿の打上げ会で、二次会は医学部の先輩の知っているスナックへ行った。そのスナックは医学部出身の医者がオーナーで、新しく出来たばかりであった。壁は真っ白で、そこに落書きができるようになっており、オーナーとその医者仲間がサッカー部の誰でも、何かいい言葉を書いてみろと言う。そこで私が手を上げて、太田蜀山人の次の狂歌を書いた。   「世の中に酒と女は仇なり どうぞ仇に巡り逢ひたい  太田 蜀山人」    お医者のオーナーグループからやんやの喝采を受け、その夜の我々の勘定はそのグループよりのご馳走ということになった。そのスナックの名前は、忘れもしない「アルト・ハイデルベルグ」であり、ハイデルベルクは香港勤務時代に初めて欧州旅行をしたときに、一泊したドイツの大学都市であった。   <太田 南畝> 1749年~1823年 天明期の代表的文人、狂歌師である。御家人として、勘定所に勤務、随筆・狂歌・漢詩を多く残した。 椿山荘

「映画音楽について」

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  映画と言えば邦画ではなく洋画であったことはすでに述べたが、映画音楽と言えば洋画のテーマとなった音楽であった。兄が『スクリーン』という月刊誌や『月刊 映画音楽』を購入していた影響もありよく聞いていた。今でも手元にそのシートが数枚入っているその雑誌が残っている。昭和三十五年(一九六〇 年)代を中心に、記憶にある有名な映画音楽をあげると、『エデンの東』のテーマ、『慕情』の「 Love is a many splendored thing 」、『太陽がいっぱい』のテーマ、『ティファニーで朝食を』の「 Moon River 」、『激しい季節』の「 Temptation 」、『刑事』の「 Sinno’Me Moro (死ぬほど愛して)」、『ブーベの恋人』のテーマ、『愛情物語』の「 To Love Again 」、『真昼の決闘』の「 High Noon 」、『ひまわり』のテーマ、『シェルブールの雨傘』の主題歌、『男と女』のテーマ、『卒業』の「 Sound of Silence 」、そしてレナード・バーンスタイン作曲の『ウェスト・サイド・ストーリー』の「 Tonight 」、「 Maria 」、「 Cool 」を始めとする名曲の数々。これらの映画の中で印象に残っている女優としては、すでに名前を挙げた女優を除けば『激しい季節』のエレオノラ・ロッシ・ドラーゴの美しさと女の命の激しさ、そして『ブーベの恋人』のクラウディオ・カルディナーレの個性的な美とアンニュイな女らしさであろうか。  一九六〇年代まではかなり流行していた音楽のジャンルで、今は流行っていないものとしては、シャンソン、カンツォーネ、コンチネンタル・タンゴ、ボサノバなどがあげられる。そうして洋画においても、当時はフランス映画やイタリア映画がかなり日本にも入ってきており、どちらかというと米国映画より質の高いものが多かったが、今では世界中がハリウッド映画に征服されたかのようである。邦画と日本のアニメ映画、邦楽そして J ポップスなどが日本やアジアにおいて流行していることは、ありがたいことだと思う。 マンハッタンの南端

「洋画 『草原の輝き』など」

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高校生時代に記憶に残っている西部劇映画はジョン・ウェイン監督・主演の『アラモ』、スティーブ・マックイーンが若々しかった『荒野の七人』などである。マックイーンはテレビ番組の『拳銃無宿( WANTED DEAD OR ALIVE )』でも有名であった。  大学生になってからは憧れの女優であったナタリー・ウッド、ウォーレン・ビーティ主演の『草原の輝き』、同じくナタリー・ウッド、リチャード・ベイマー、ジョージ・チャキリス、リタ・モレノが演じた作曲レナード・バーンスタイン、監督ロバート・ワイズ、振付ジェローム・ロビンスの『ウェスト・サイド・ストーリー』は三回ほど見た。後にニューヨーク勤務となった折に、ウェスト・サイド地区の恐ろしさを知ることとなった。  大学四年生かもしくは銀行に入った頃に見た映画で印象的なのは、リュドミラ・サベリーエワの『戦争と平和』、そして『ひまわり』である。『ひまわり』の方はソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニが共演であったが、ロシア人女優での最高の華はリュドミラ・サベリーエワではなかろうか。『男と女』のアヌーク・エメも色っぽかったが、アニエス・ヴァルダ監督の『幸福』を演じたマリー・フランス・ボワイエもしっとりとした清楚な美しさを持った女優であった。   Splendor in the Grass William Wordsworth Though nothing can bring back the hour  of splendor in the grass, of glory in the flower, we will grieve not. Rather find strength in what remains behind. 草原の輝き ウイリアム・ワーズワース 翻訳:高瀬鎮夫(たかせしずお) 草原の輝き 花の栄光 再びそれは還(かえ)らずとも なげくなかれ その奥に秘められたる力を見い出すべし シカゴの夕焼け

「洋画 『誰がために鐘は鳴る』など」

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映画の製作年は前後するが、マーガレット・ミッチェル原作でヴィヴィアン・リー、クラーク・ゲーブル主演の『風と共に去りぬ』、ゲイリー・クーパー、イングリッド・バーグマン主演の『誰が為に鐘は鳴る』、ジェームス・ディーン主演の『エデンの東』、オードリー・ヘップバーン、グレゴリー・ペック主演の『ローマの休日』などは、もう高校生になってから、試験の終わった後などに観覧した記憶がある。中間試験や期末試験が終わると自転車を連ねて映画館に通ったものである。    No man is an island, Entire of itself. Each is a piece of the continent, A part of the main. If a clod be washed away by the sea, Europe is the less. As well as if a promontory were. As well as if a manner of thine own Or of thine friend's were. Each man's death diminishes me, For I am involved in mankind. Therefore, send not to know For whom the bell tolls, It tolls for thee.   John Donne Devotions upon Emergent Occasions, no. 17 (Meditation) 1624 (published) なんびとも一島嶼にてはあらず、 なんびともみずからにして全きはなし、 人はみな 大陸 ( くが ) の 一塊 ( ひとくれ ) 、 本土のひとひら そのひとひらの 土塊 ( つちくれ ) を、 波のきたりて洗いゆけば、 洗われしだけ欧州の土の失せるは、 さながらに岬の失せるなり、 汝が友どちや 汝 ( なれ ) みずからの  荘園 ( その ) の失せるなり、 なんびとのみまかりゆくもこれに似て、 みずからを 殺 ( そ ) ぐにひとし、 そはわれもまた人類の一部なれば、 ゆえに問うなかれ、 誰がために鐘は鳴るやと、 そは汝がために鳴

「洋画 キリスト教関連」

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 西部劇の次はキリスト教関連映画で、ジーン・シモンズ、リチャード・バートン主演の『聖衣』におけるジーン・シモンズの気高い気品のある美しさに感銘した。シェンキヴィッチ原作の『クォ・ヴァディス』はロバート・テイラーとデボラ・カーが演じた。そしてアンソニー・クイン、ジーナ・ロロブリジータ主演の『ノートルダムのせむし男』、共にチャールトン・ヘストン主演の『十戒』と『ベン・ハー』。ローマ観光の折に、騎馬での戦車競技場を見た時にはすぐに『ベン・ハー』の映画の場面が浮かんだものであった。この辺りまでは、まだ中学生で父と一緒に見に行っていたように思う。 ローマの戦車競技場跡

「洋画 西部劇」

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小学生時代から父に連れられて、ジョニー・ワイズミューラーの『ターザン』のシリーズはよく観覧に行った。ターザンの次は西部劇である。最初に見たのがヘンリー・フォンダ主演の『荒野の決闘』で、監督はジョン・フォード、映画音楽は『愛しのクレメンタイン』であった。 Oh bury me not on the lone prairie. These words came low and mournfully From the pallid lips of the youth who lay On his dying bed at the close of day.  それから同じくジョン・フォード監督でジョン・ウェイン主演の『駅馬車』『黄色いリボン』などであるが、当時は米国の歴史など知らないので、白人が正義でインディアンが悪であるとばかり思っていた。白人至上主義の勧善懲悪を信じていたのであろう。それから長閑で忘れられないのは、アラン・ラッド主演の『シェーン』である。これらの映画は一九四六年から一九五三年頃にかけて制作されているから、日本での再上映の時に見たものと思われる。   自由の女神