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1月 9, 2021の投稿を表示しています

「友人たちの来港」

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  一九九〇年三月には、 S 家四人が来港し、夕食を共にして、我が家にも遊びに来た。また大阪の妻の従弟である H 君も遊びにやってきた。 A 姉も娘の H ちゃんを連れて来港している。 そして八月の二日から六日にかけて、十六夜会の広島のメンバーと聖母幼稚園の先生お二人がやってきた。 M 先生、 Y 先生 、 K 君 、 K 君 、 S 君の五人でツァーに乗ってドラドン・エアー(港龍航空)でやってきた。 三日はツァーで赤松黄仙洞、飲茶、女人街、金銀宝飾店、ブランド店を周り、妻と圭が合流して、夕食は飲茶料理を食べている。その後はブレ―マー・ヒルズの我が家に来て、色々なお酒を飲みながら歓談した。 四日はマカオ・ツァーである。聖ポール天主堂跡、ホテル・リスボア、中国庭園と邸宅で剣劇や曲芸を楽しむ。それからホテルで歓談。 五日はまたブランド店で買い物、飲茶、オーシャン・パーク、地下鉄、そしてまた買い物、二階建て電車、ランド・マーク、妻と圭と合流して夕食、その後リージェント・ホテルで香港島の夜景を見ながら、お酒と談話を楽しんだ。 ニューヨークにいた頃には飛行機代も高く、友人は小学校のクラス・メイトがビジネス旅行で訪れたことがあったが、香港は日本からも近く友人たちが沢山訪れてくれて、楽しんで帰ってくれたと思う。 香港の社宅にて

「プーケット」

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  次の年、一九八九年の一二月にはタイのプーケットに行った。やはり二泊で泊ったのはメリディアン・ホテルだったと思う。ここでは次男の小学校の女子クラス・メイトの家族と一緒に島で泳いで、プーケットの街で夕食を食べた記憶がある。南海のリゾートでのクリスマスを楽しんだ。 プーケット

「コタキナバル」

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  南のリゾート地には、いずれも一二月に二度行っている。最初が一九八八年の一二月のコタキナバルである。ノースポイントから啓徳空港へフェリーで行き、そこからコタキナバルの空港に直行便であったと思う。ホテルはタンジュン・アル・ビーチ・ホテルで二泊であった。中の一日は、船で一時間位かかるサピ島に行ったが、サンゴ礁の奇麗な小島で、ビーチは貸し切り状態であった。ガーデン・プールやテニスを楽しんだ。 コタキナバル