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1月 2, 2021の投稿を表示しています

「米国からの帰国の旅」

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  一九七九年の一月に長男は NURSARY の教室で三歳の誕生日会をやってもらった。英語はしゃべることはできないが、聞くことは一部出来ているらしく、保育園での支障はないということであった。同じく一月に Y 家に K 家、 S 家と一緒にお邪魔して、男性はゴルフをし、夕食会を楽しんだ。五月に帰国の内示があり、 I 家と I 家と一緒にチェリー狩りに行ったり、リバー・ヒル・タワーの S 家、 S 家、 M 家と一緒にメ―シー・パークでのバーベキュー送別会を愉しんだりした。 日本への帰国の旅は、ニューアーク空港からセントルイス経由ロス・アンジェルスへ、そこで二泊して、ディズニー・ランドを楽しみ、それからハワイに飛んで、シェラトン・ワイキキ・ホテルに二泊する予定であった。 ロス・アンジェルスでは N さんの紹介で M さんの車を借りて、ディズニー・ランドへ行き、スモール・ワールドや潜水艦巡りを楽しんだ。ところがハワイへの飛行機が機体に問題があるからということで飛ばないこととなり、やむなくロス・アンジェルスにもう一泊することとなった。やっとハワイのホノルル空港に着き、ダイヤモンド・ヘッドの見える眺めの良いセミ・スイートの部屋に入ったが、旅程変更のために神経を使い、頭痛で少しベッドに寝た。それから折角なのでホテルの部屋からワイキキ・ビーチに降りて、子供たちを遊ばせたが、早めに引き上げて部屋で休んだ。それからホテルで夕食を食べて、その後近くのアラモアナ・ショッピング・センターに出かけたが、幼児二人連れなので、すぐにホテルに帰った。ハワイは広島の母の生まれた産土の地であったが、私のハワイ滞在の記憶は必ずしも良いものではなかった。 ホテルからダイアモンド・ヘッドを望む

「紐育での読書」

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ニューヨークでは、読書と言えば「ドイツ・グラモフォンのレコード」に書いた下記の書物以外はほとんど読んでいないのは、今振りかえれば恐ろしく勉強不足であった。二〇代後半から三〇代前半における六年の貴重な期間を、教養を身に着ける重要な手段の一つである読書を放擲したままで、徒爾に歳月を過ごしたこととなった。   『名曲をたずねて』上・下巻  神保璟一郎    『ピアノ名曲名盤一〇〇』 諸井誠  『音楽を愛する友へ』 EDWIN FISCHER 佐野利勝訳  『主題と変奏』 吉田秀和  『一枚のレコード』  吉田秀和                   『音楽巡礼』  五味康祐  マンハッタン街並

「レイク・ジョージのプール」

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一九七八年の夏休みは、同年一月に生まれた次男と長男という二人の幼子連れで次男が幼児であったことから、ニューヨーク州のオルバニーからそう遠くないレイク・ジョージのプール・サイドで滞在型休暇を過ごした。その近くにある GOAST TOWN 、 FORT WILLIAM HENRY 、 PROSPECT MOUNTAIN HOUSE などを訪ねて遊んだ。 このアディロンダック山地にあるジョージ湖は、「アメリカの湖の女王」と呼ばれている有名リゾート地で、湖の南北は五二キロ近くあるそうだ。またウィリアム・ヘンリー砦はイギリス軍の植民地の寄りどころであったが、一八七五年の英仏戦争で包囲戦の後イギリス側が降伏をした。その後に、インディアンによるイギリス人降伏兵への虐殺があったところとして有名であるようだ。ウィリアムの名前は英国王ウィリアム三世から名づけられたという。 一九七八年の秋に、オーク・ヒルのアパートがレンタルでなくなるため、ハドソン川沿いの GREY STONE 駅のすぐ上にある、 RIVER HILL TOWER へ引越しをした。そこには S さん、 S さん、 M さんが入居していた。買い物は近くの HASTING ON HADSON などでしていたが、わずかな期間のみの居住であったためあまり思い出すことは沢山ない。部屋がオーク・ヒルの ONE BED ROOM から TWO BEDS ROOM に変わったこと、ベランダから冬の寒い日には氷結したハドソン川を眺めることができたことくらいであろうか。   Lake George

「雪の日のブロンクスビル」

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  次男の 誕生予定日は、私と長男の誕生日である一月一九日に近く、親子三人ともに同じ日になるのかと思ったが、実際には一月二六日であった。当日は雪の日で、私は会社に出ており、産気づいて入院するというのでブロンクスビルのローレンス・ホスピタルに向かった。しかしかなり時間がかかってやっと元気に次男が生まれてきた。Kという漢字には磨けば玉となるという意味があるそうで、それが気に入って命名をした。 一九七八年の四月には二歳三か月の長男と三か月の次男を連れて、五年振りに一時帰国をすることとなり、まず広島に帰り、それから今度は若狭の神子にある妻の実家に行き、二週間の一時帰国を楽しんだ。 浴衣姿の息子たち