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1月 1, 2021の投稿を表示しています

「ニュー・ハンプシャーの夏」

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一九七七年の夏休みは、 NEW HAMPSHIRE 州にあるホワイト・マウンテン国立公園で過ごした。リゾート・タウン NORTH CONWAY 、 STORY LAND 、 MOUNT WASHINGTON のスカイラインからの絶景、モーテルに泊まり、 SIX GUN CITY と LOST RIVER 渓谷。それから LAKE REGION の LACONIA に泊まった。次の日は MASSACHUSETTES 州の CAPE COD に向かい、コッド岬で観光をする。コッドとは鱈の意味である。最後の日は RHODE ISLAND 州のジャズで有名な NEW PORT を見て回った。三つの州をこの夏はドライブ観光したことになる。 九月は BRONX ZOO に行き、一〇月は BEAR MOUNTAIN の紅葉を楽しんだり、 I 家、 I 家と一緒にリンゴ狩りに行ったりした。買い物は自宅から近い、 CROSS COUNTY SHOPPING CENTER や日本食材店の明治屋に行くことが多かった。 一二月には次男の誕生を控えて、日本から妻の伯母さんと妹がやってきたので、ダウン・タウンやバッテリー・パーク、そして自由の女神、 ROCKEFELLER CENTER などに連れて行った。   STORY LAND

「TANGLEWOODの音楽フェスティバル」

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  六月には、一泊で TANGLEWOOD の音楽フェスティバルを聞きに出かけた。当時のボストン交響楽団の指揮者は勿論小澤征爾であり、広い公園の真ん中にオープン・スペースの屋根付きステージがあり、そこで楽団は音楽を演奏する。周囲は芝生となっており、我々は芝生に寝転がって、小沢の音楽を楽しむことができた。長男はストローラーに乗ったままで大丈夫である。セントラル・パークでも野外音楽堂で芝生に座ってチャイコフスキーの『一八一二年』を聞いたことがあり、最後は花火が終楽章を飾ったのを見た記憶があるが、日本とは異なり色々な音楽の楽しみ方が、米国にはあるものだと感じ入った。小澤征爾と言えば、父親が満州事変に絡んだ服部征四郎と石原莞爾を尊敬しており、その名前から征爾と名付けたことで有名であるが、小澤征爾時は先日のテレビ(二〇一九年九月二二日)のインタビューで、「殻を破って外へ出るというエネルギーが大切である」と語っていた。ヘッセも『デミアン』の中で、次のように記述している。   「鳥は卵の中から抜け出ようと戦う。  卵は世界だ。  生まれようと欲するものは一つの世界を  破壊しなければならない。  鳥は神に向かって飛ぶ。  神の名はアプラクサクという。」 *アプラクサス : ヘレニズム時代に、アレクサンドリア周辺で最高神として崇められた。 TANGLEWOODの音楽フェスティバル

「バージニア州・ペンシルベニア州への旅」

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一九七七年の一月、 K 家に代わってお向かいに入ったのがジョンとメルセデス夫妻であった。まだお子さんがいないので、我が家の長男をとてもかわいがってくれた。米国生活ではプライベートで現地の方々とお付合いする機会が少なく、あとは同じアパートの元お医者さんのドクター・ディンゴールと奥さんのメリッツァの二家族でしかなかった。ドクターは米国生まれであったが、メリッツァはユーゴスラビアの生れで、米国への避難民であった。一度夕食に誘われたことがあったが、きわめて質素な生活をされておられる様子がよく分かった。 二月にはハドソン川上流にあるウェスト・ポイントの陸軍士官学校を訪れ、四月にはニュージャージー州の桜の名所・ブランチ・ブルック・パークへオーク・ヒルのお仲間とお花見に行った。メルセデスの実家にお呼ばれしたのも、この時期である。 五月の春の旅行は、まずはペンシルバニア州のデュポンの庭園、 LONGWOOD GARDEN を訪れ、米国独立戦争の大陸軍の宿泊所のあったバレー・フォージを見て、それからバージニア州の初代大統領のプランテーションのあったマウント・バーノンを見学した。新古典主義ジョージア調建築様式の邸宅であった。ついで SHENANDAUH 国立公園の SKY LINE PARKWAY をドライブして、シェナンドーの美しい山並みを満喫した。バージニア州からペンシルバニア州に戻って、チョコレートのハーシー・パークの遊園地とローズ・ガーデンで同じオーク・ヒル在住の K 家と S 家と出会い、そこでの観光をご一緒した。そこで両家とお別れして、ランカスターにあるダッチ・ワンダーランド、避暑地のポコノにある US メモリー・タウンを楽しんで帰宅した。一泊したのはよく覚えていないが、バージニアのモーテルであったろう。 Longwood Garden