「香港での勤務」

二度目の海外勤務となった。一九八七年五月に、まずは引継の為に一週間香港へ出向いた。啓徳空港が近づき、町の家並みがはっきりとわかるようになる。まさに印象は雑然とした街だ。一階が商店街で二階以上が住居階となっているらしいビルが多く、そのほとんどが窓から洗濯物を吊り下げている。

出向先の廣安銀行は地場銀行であり、セントラル地区の中央市場のそばにその本店があった。私の担当業務は当初はコーポレイト・プラニング部であったが、後にマーケティング部、そして審査・国際部門と三つの協理(CHIEF MANAGER)を担当した。

住居は日本人学校から近い塞西湖(チョイサイウー)の寶馬山道(ボウマーサントウ)にあるブレーマー・ヒルズという高層マンションである。マンションは三十七号棟(サムサップチャホウ)であり、その二〇階のB室が我が家であった。

啓徳空港を見下ろす


リビングルームのテラスからは、正面真下に啓徳空港を見下ろすことができ、飛行機の発着するのが見えた。眺望は素晴らしかった。 

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