「この道より」 武者小路 実篤

 「この道より我を生かす道なし この道を行く  実篤」

 

この短い詩のような、もしくは箴言のような言葉が、人間というものの揺れて定まらぬ心の背骨となって、人の精神面を支えるものとなることを、初めて知ったのは高校二年生の頃であったろうか。

高校生になってより石坂洋次郎の『青い山脈』や『若い人』、下村湖人の『次郎物語』や武者小路実篤の『友情』と『愛と死』を読み、読書というものが、人間の感情を揺さぶり、魂を震わせるものだということを、初めて感じるようになった。

特に『愛と死』は未だ知らない恋愛というものを疑似体験させてくれ、愛する人の死というものに感情移入して、生まれて初めて読書で涕涙を流したものであった。

 実篤には、思いこんだ一つの道しかなかったのであろうが、自分には色々な選択があった、そしてその選択の都度、人生の可能性は狭まるものではないかと疑っていたが、人生とはそういうものではなく、どの道も広く深く長いものであった。


<武者小路 実篤> 

1885年(明治18年)~1976年(昭和51年)

藤原北家の支流である閑院流の末裔、武者小路子爵家の八男。学習院高校より東京帝国大学社会学に進むが中退して、文筆に励む。トルストイに傾倒し、聖書、仏典、夏目漱石などを愛読。志賀直哉、有馬武郎、有馬生馬らと『白樺』を刊行。理想的な調和社会の実現を目指し、宮崎県に「新しき村」を創建、6年間で終わったがその理想は長く残った。離婚と再婚を経験。昭和11年に経験した欧州旅行における黄色人種への偏見による屈辱で、戦争支持者となり、戦争協力を行った。分かりやすく簡明でありながら、深い思考に基づいた恋愛、友情、人生や死についての彼の文章は、読者の心に沁み込んでくるところがある。「仲良きことは、美しきかな」という言葉も忘れ難い。90歳で病没。




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