「ニューヨーク支店へ」

 昭和四八年五月末にニューヨーク支店への転勤発令を受け、健康診断や引越し手続きなどを終えて、PAN  AMERICAN航空でアンカレッジ経由ニューヨークのケネディ空港へ到着したのは、六月の下旬であった。一年先輩のNさんが、Kさんと一緒に赴任した私を迎えに来て下さり、真っ赤なギャラクシーのフル・サイズ・カーでそのまま支店の夕食会の会場であるミッド・タウンの日本倶楽部へ向かった。

宿泊のホテルはミッド・タウンのウェリントン・ホテルであり、すでに先週着任されていたIさんもご一緒だった。翌日二本ある世界貿易センター・ビルのONE WORLD TRADE CENTER  BUILDINGWTCに初出勤したが、その巨大さと高さには本当に驚嘆した。先ずは一階から七八階まで三〇人乗り以上の大きさの巨大なゴンドラで登り、そこで乗り換えて八一階の当行オフィスまで行った。早速同期のE君から、ドキュメンタリー部門の担当の引継ぎを受ける。
One World Trade Center 




コメント

  1. 貴君もお若いですね!当時の私は、入行の新橋支店から調査部に転勤になり、石油の産業調査担当でした。この年は、10月に第1次石油ショックが勃発、原油価格の暴騰に端を発する凄まじいインフレに見舞われ、トイレットペーパー騒動などが起きた忘れがたい年です。石油を投入するI-Oモデル(産業連関モデル)の作成や、銀行内外に対する調査レポートの作成など結構忙しいながらも自分の存在感が実感でき、仕事に対する面白さも芽生えてきた頃でした。E君とは○○名さんのことですか?

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  4. 海老名君から引き継ぎを受けました。貴兄は入行当初から仕事師だったのですね。確かにこのブログでは社会、政治経済面に触れていません。このブログでは世相や仕事面は捨象しています。

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