「修道の仲間と広島学院の仲間」

 高校生頃になって広島学院の同学年の生徒たちも教会に現れるようになった。幟町カトリック教会もイエズス会系カトリックであり、広島学院も同じ系列であったから、彼らの方が教会によりふさわしかったわけであるが、我々修道の仲間は何となく対抗心を持ったのであった。広島学院の生徒たちは我々ダルマ・グループとは異なり、女子高生もメンバーに入れていしころ会というグループを組成した。それに対抗して高校三年生の時には、広島女学院の生徒と一緒に友人宅でクリスマス会を催したこともある。

大学に入ってよりは、ダルマ・グループといしころ会の境界も外れて、広島に残っているメンバーが十六夜会というグループを作って、他の都市の大学に行っているメンバーは休暇の時に集まるという形になって、この会は今でも続いている。

本に関していえば、修道の仲間と広島学院の仲間では読書のレベルに雲泥の差があり、例えば広島学院の仲間は阿部次郎の『三太郎の日記』や、倉田百三の『愛と認識との出発』などについて談論しているのに、我々修道の仲間は全くついてゆけないのであった。これは読書に関する、人生で初めて味わった大きなショックであった。それからは広島学院の仲間たちの読んでいたやや哲学的な、また人生論的な本を、負けじとばかり読み始めたのであった。

縮景園(泉邸)


コメント

  1. ダルマ会のその後、分かりました。島本さんの読書遍歴の一端が伝わってきます。

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  2. このブログは、読書遍歴と思い出すことなどを中心に書き込んでいます。思い返してみると、色々なことを経験してきたものですね。足立美術館へは十六夜会の夫婦同伴、一泊旅行で行きました。

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