「プエルト・リコへの夏季旅行」

 住まいと車を準備して、英語や仕事にも慣れた一九七三年の終わりごろに、妻がIさん家族とご一緒に渡米してきた。アパートの向いにN航空のKさんご家族がおられ、米国生活に慣れず、英語もできない妻は、少し前にニューヨークに来られた英語の達者なK夫人から色々と教えて頂き、夫婦ともどもお世話になった。

翌年の夏休みには、どういうきっかけか忘れたが、カリブ海のプエルト・リコに二泊旅行をした。プエルト・リコは米国の自治連邦区でコモンウェルスという政治的地位にある属領である。ニューヨークにはプエルトリカンが多く、当時通勤で乗降していた地下鉄のフルトン駅は英語とスペイン語で案内があるほどであった。もともとはスペインの属領であったが、一八九八年のメイン号謎の爆沈事件で米西戦争が起こり、結果的に米国の属領となったわけである。PUERTO RICO は「豊かな美しい港」という意味で、主都はサン・フアンである。ホテルはマリオットで、近くの LUQUILLO BEACH(ルクイッジョ・ビーチ)が美しい砂浜であった。観光には古い砦を見に行ったが、その名前は憶えていない。またサン・フアンの港には大型のクルーズ船が多数入港しており、そこで飲んだPiña Colada(ピーニャ・コラーダ)が最高に美味しかった。プエルト・リコはラム酒の名産地であり、このカクテルはラムをベースに、 パイナップルジュースとココナッツミルクを砕いた氷と一緒にシェイクして作るロングドリンクであり、ラムは地元のBACARDI (バカルディ)社のものである。バカルディ レガシー カクテル コンペティションはバカルディ社がスポンサーとして、毎年プエルト・リコで開催されているとのことは、銀座六丁目にあるスタンド・バー洋酒博物館のマスターと話していて、初めて知った。この旅行の土産にシーバス・リーガルの一二年物・(四・五L )ガロン瓶をお土産に買ったが、ニューヨークの空港で見当たらず、支払った金額だけの払い戻しがあった。今更惜しいことをしたと思う。
プエルト・リコ


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