『ピアノ協奏曲第二一番』 モーツァルト
この協奏曲は、モーツァルトがウィーンに滞在していた一七八五年に作曲された第二〇番、第二一番、第二二番の二番目に作曲された。モーツァルトはその時二九歳であり、モーツァルト自身によりウィーンのブルク劇場で一七八五年三月一〇日に初演されている。
諸井誠の『ピアノ名曲名盤一〇〇』によれば、「映画 ELVIRA MADIGAN(短くも美しく燃え)でバックグラウンド・ミュージックに用いられたアンダンテ(第二楽章)が広く知られており、その美しさには筆舌を尽くし難い、最良のモーツァルトの高雅なまでに洗練されたリリシズムが感じられる」と著わしている。
ペライアのレコードのジャケットの筆者である ARIANNA CHOLMONDELEY は、このアンダンテを下記の如くに表現している。
“The romantic Andante provides immediate contrast to the first movement through its use of muted strings, pizzicato bass, and extended cantabile melody accompanied by ceaseless triplet. Mozart maintains classic equality and balance between the orchestra and soloist by announcing the thematic material in the orchestra, repeating it in varied form in the solo part and, then, finally allowing the orchestra and piano to rework it together.”
「ロマンティックなアンダンテは、静かな弦、ピチカート(弦を指で弾く)ベース、および絶え間ないトリプレット(三連符)を伴う延長されたカンタービレのメロディーの使用を通じて、最初の楽章に即座に対照を与えます。 モーツァルトは、オーケストラの主題を表明し、ソロパートでさまざまな形でそれを繰り返し、最終的にオーケストラとピアノが一緒にやり直すことにより、オーケストラとソリストの古典的な平等とバランスを維持します。」
吉田秀和はモーツァルトについてどのように書いているだろうか。まずハイドンとの比較である。
「モーツァルトは、あの偉大で率直で明快なハイドンの芸術に、たった一つ欠けていた何かを音楽に表現した。旋律ひとつとっても、表現の微妙な味わいが無限に豊かになっているし、和声でも半音階的歩みがはるかに柔軟な明暗を刻み付けている。その上に、彼の表現の無類の変化をともなっていながら最終的な形式感の的確さ、清澄さなどを考えあわせると、これは要するに、音楽的感性の違いというものをこえている。ハイドンは、その快活さと誠実との天才で、一八世紀をはるかにぬいて、一九世紀をとびこえて現代につながるが、モーツァルトは、おそらく、いかなる世紀にあっても、音の芸術が革命的に変化しない限り、感性と精神の自由の芸術的完成の象徴としてのこるのかもしれない。」
継いで、ピアノ協奏曲第二一番に関しての短いコメントは下記の通りである。
「そこでもう一つ、純粋に音楽の喜びに満ちた第二一番ハ長調K四六七をつけくわえたい。これは簡単直截でありながら、実に素晴らしい音楽に富んでいる。第二楽章のあの静かな叙情など、絶品である。」
私自身のこの第二楽章に関しての感想は、以下の通りである。
「光と音階の変調によって様々な色へと移り変わる精霊の様な人間の魂を包む存在が、聖なる蒼天より舞い降りてきながら、また昇るかと思わせるような精妙なる動きを感じさせる最初の主題を、しばらくは弦楽器を中心としたオーケストラが奏でる。背景に流れるバスのピチカート奏法の音が効果的である。やがてそれを待ち受けていたかのごとくにピアノが同じ主題を繰り返し奏でて、やがてオーケストラ全体によるハーモニーが我々の魂を掬い上げて、蒼天の高みへと昇って行きながら、我々の魂を浄化させてくれる。ピアノはその浄化された魂を、天上で祝福するかのように清澄で高雅さに満ちた調べを転がせる。そうして当初の主題は、弦楽器とピアノにより次々と変調していきながら、この美しいこの世のものとも思われないアンダンテ(第二楽章)は静かに終わる。」
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