「ドイツ・グラモフォンのレコード」

 ニューヨーク支店にはクラシック愛好家が多く、多少ともクラシックを聞いておかなければ会話に参加出来ない時があった。また日本では高価なドイツ・グラモフォンのLPレコードが、SAM GOODYというお店で割安に購入できるとのことであった。しかしどの作曲家のどの演奏家によるレコードを買ったらよいのか、皆目わからない。音楽の中ではピアノ音楽が、わかり易いと思っていたので、最初に諸井誠の『ピアノ名曲名盤一〇〇』という本を購入して、それに沿って少しずつLPレコードを買い始めた。昭和五一年の秋頃からである。購入場所はSAM GOODYが一般的で、時にコルベッツ等の百貨店でも購入している。ドイツ・グラモフォンのレコードが日本では二〇〇〇円から二五〇〇円の時代に、米国では5ドル弱であった。為替が一ドル三〇〇円弱であったから、円換算で一五〇〇円と安かったのを覚えている。その他のレーベルは、LPで三ドル弱であった。

音楽関係の本で、米国で購入したものはあまり多くなく、『名曲をたずねて』上・下巻 神保璟一郎 角川文庫、『ピアノ名曲名盤一〇〇』 諸井誠 音楽の友社、『音楽を愛する友へ』 EDWIN FISCHER 佐野利勝訳 新潮文庫、『主題と変奏』吉田秀和 中公文庫、『一枚のレコード』吉田秀和 中央公論社 くらいである。

音楽というものは、もともとは楽器や人間の声で共生集団に霊感やパワーを与えるために創り出され、やがてそれは神を讃えるための宗教音楽となり、富裕な王侯・貴族を中心に楽しまれてきたが、市民生活の充実に伴い、市民のための音楽というものに移り変わってきた。楽器も打楽器・管楽器・弦楽器・チェンバロ・ハープシコード・ピアノそして現代の様々な楽器へと進化してきている。

クラシック音楽に関していえば、自然界や人間界における様々な現象や心象を、楽器や歌手、コーラスなどにより、音による抽象的な美と感動として表現するものとなっている。したがってその抽象性を言葉で表すのは困難を伴うが、吉田秀和はいとも簡単に音感と言葉の境界線を乗り超えて、音楽を文章化してしまう達人であると感じた。

オーク・ヒル(Westchester,NY)


コメント

  1. 音楽と文章はそれなりの親和性があるのは分からないわけでもあリませんが、音楽と数学の世界の親和性になってくると考えてしまいます。
    極めつきの具象の世界を追求していくと究極は抽象化された音楽のような神秘な世界に近づく、とでも考えるのだろうか?指揮者の小沢と数学者の広中平祐さんの交友は有名なお話ですが、2人は両極だから親しみを覚えたのか、逆に相似に近い世界になっていたのか、興味深いです。私などは、数学大好き人間でしたが、音楽の世界は表層を舐めただけで、2人の天才同士の交友を考えれば、単純な「凡人」であったことに行き着きます。

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  2. b句は数学は中学校時代以来の苦手でしたが、藤原正彦などによれば数学は美しいものだそうですね。有名な数学者は、美しい故郷で生まれているようです。音楽の構成美と数学の数式美に相通じるところがあるのでしょうか。ともに抽象の世界ですね。

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  3. b句ではなくて僕でした。

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