「川端文学について」

 高校生時代の読書としては、そんなに多くの本を読んだ記憶はないが、なぜか新感覚派の横光利一の『旅愁』に感動したことがある。「マルセーユつれしゃるまん(Très Charmant)覚えけり」。歴史と文化を勉強に行った矢代のパリやスイスでの千鶴子への慕情、伊勢神宮への郷愁など、ヨーロッパへの憧れを覚えたものであった。

その後横光利一に関しては、『機械』などを読みかけたがあまり興味がわかず、同じ新感覚派である川端康成の本を読み始めた。『伊豆の踊子』から入って、『古都』『美しさと哀しみと』『雪国』『みずうみ』などを、受験校であった広島の修道高校に通う勉強の合間に、主として勉強を一段落させて、深夜に読んでいたような記憶がある。

川端の『山の音』はさすがにその味わいがよくわからなかった。幼くして父母と死別し、小学生になってからは祖父と二人の生活で、家族の本当の情愛を知らない孤独な環境で育った川端は、それだけ特に母性的愛情に飢えていたといえる。それゆえに母性的なものへの思慕は強烈で、又女性の美しさへの憧憬はいや増したのであろう。そうした環境で育まれた美的感覚と研ぎ澄まされた文章力に感銘を受けたものであった。


円山公園の枝垂れ桜


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