「愛と感謝とで」(ノートの一つ目)
愛と感謝とでこの世を見る時は
この世は
美しいものだらけだ。
そして死ぬことも美しいのだ
ありがたいことだ。
武者小路 実篤
実篤はその詩集のいたるところで、人生の美と愛と歓喜について謳っている。彼がその思想を培った時代には人道主義が隆盛期であったこと、また彼自身がトルストイなどの影響のもとに白樺派に属していたということ、そのことが彼を人生の讃美者となさしめたのであろう。貴族の門に生れ生活の苦労を知らぬ彼にして、この麗しい人生肯定の詩が産まれたことは否めない。でもそれだけであろうか。
ニーチェは「神は死んだ」と宣言した。キルケゴールに始まる実存主義は死の不安を説き、人生の暗さを訴えた。サルトルは人生に嘔吐感を抱き、カミュは人生における不条理性を述べた。彼らは人生を肯定したいと願いながら、結局は人生の否定的側面の虜となってしまったように思える。そして現代の思潮は主として人生の否定的側面にあるようである。彼らにとってみれば、人生は素朴に肯定できるものではないかもしれない。だが、今夜のように円かな秋の月が、レースのカーテンを透してその光を静かに部屋に投げかけている時、我々人間はその光景の美しさに、世界の壮麗さに心打たれずにいられない。生きることを愛さずにはいられない。
こよい又おんみはおぼろの光もて
しげみを谷をみたし
かくてわがこころも
ついにのこるところなく融けひろがる
ゲーテ 「月に」
実篤は人間に与えられたもので善でないものはないと言う。人間が悪だと思うものも本当は悪ではなくて、それは阿片のように人間がその程度を知らずに使用するので麻薬性を持つのであり、適度に使用すればそれは薬となるものであるという考えである。アウグスティヌスもその『告白』において、人間は神によって創られたものであるから、その性はすべからく善であり悪は存在しないと言っている。悪というのは実在するものではなくて、それは善の欠如だと書いている。そうなるとヘッセの『デミアン』に出てくるアプラクサスのように、善と悪の両者を有する神は自己消滅してしまうことになる。
亀井勝一郎は、人間は死に向かって生きていると言う。そしてその死がロシア系ユダヤ人の哲学者であるシェストフの言うように、屋根から落ちた一枚に瓦によってもたらされたとしたら、その偶然による死は確かに不条理である。だがその死も実篤のように美しいものだととらえることもできるのだ。実篤の人生論は大いにトルストイの人生論の影響を受けているが、彼流に述べるとするとやすらかな休息なのである。
実篤の人生の美と愛と歓喜をもってしても、人生の不条理は拭い去ることはできないであろう。だが人生が不条理だからといって、人生の美と愛と歓喜を否定することはできない。両者がともに一面的真理ならば、自分には人生を素朴に肯定し、愛と感謝を以って、生きていく方が幸せのように思える。
以上が読書会の交換ノートに私が記載した内容であるが、振り返ってみれば裕福な環境ではなかったが、中学高校は授業料の高い私立の中高一貫校に通わせてもらい、家族は父母と姉五人、兄一人の末っ子として可愛がられながら育ち、恵まれた環境にあったからこそ、白樺派の理想主義で人生肯定的な思想に同調していたのであろう。これが恵まれない逆境の生活を送っていたら、ここまで素朴に人生肯定主義を受け入れることはできなかったかもしれない。
私のこの頃の日々、武者小路のような世界に憧れを持ちながらもカミユなどの厳しい現実世界も少し覗いていましたが、パズルのような数学の面白さに引き込まれ、その延長ともいえる受験勉強にどっぷり浸っていました。大学に入学、広い世界が見え始め、ニーチェやカントなどの哲学書も一時期紐解いていましたが、エネルギーは司法試験対策に傾いていき、その試験を受ける前に富士銀行への入行が内定、試験を受けることもなく皮相的ともいえる世界に入り今に至っています。貴君の感想を読みながら、やり直しができるとすれば・・・と、今更ながらの想いが脳裏をかすめていきます。
返信削除学生時代に司法試験に挑戦しようとされていたことは、素晴らしいことでしたね。学生時代のよく理解できないながらも哲学書をめくっていた時代が懐かしいです。弁護士の道を選ばれていたら、また違った人生だったでしょうが、貴兄の能力からすればいずれの分野でも、成功を修められたでしょう。
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