「名古屋の八事にて」
一九八三年一〇月に名古屋の柳橋支店に転勤した。家庭寮は八事であった。車は取引先N社のスタンザに乗り換えた。八事には興正寺があり、買い物はいつもジャスコであった。
名古屋にいたのは一九八三年一一月から一九八五年一一月の二年間であったが、その間東山動物園、一九八四年夏には志摩観光ホテルに泊まって、伊勢神宮参りをした。ホテルのシーフードが宿泊料金より高かったのは、子供たちがアワビのステーキを食べたからである。秋にはニューヨークでご一緒だったK家と明治村を訪れた。
一九八五年夏には北陸に旅行をし、東尋坊、金沢の兼六公園、越前海岸での海水浴を楽しみ、それから神子に寄った。妻子を実家に預けて、帰路に湖北の十一面観音を拝観して回った。石道寺、鶏足寺、渡岸寺を周ったが、渡岸寺の十一面観音像の見事さは感銘を受けた。
その他では子供二人を連れて清洲城を訪れたり、家族で郡上八幡にドライブしたりした。郡上八幡では古城を見ると共に、日本名水百選の宗祇水を見たが、名水の滾々と湧くのが印象的であった。帰りには鮎を食べた記憶がある。また瀬戸市にある曹洞宗の雲興寺を見て、犬山城に周って天守閣に登り、織田有楽斎で有名な有楽苑の茶室を拝観。そのあと犬山モンキーパークで子供たちを遊ばせた。又奈良の義弟の所に遊びに行き、秋篠寺、慈光院、中宮寺、明日香の石舞台などを車で周ったこともあった。
名古屋の柳橋支店の行内旅行では、一九八四年には信州のビーナスラインを周遊し白樺湖を愉しんでいる。また一九八五年には浜名湖に一泊旅行をし、浜松市フラワー・パークや奥浜名湖の竜ケ岩洞を観光した。
それ以外では、この支店には、代々小唄を習う決まりがあり、月一回業後の三十分、師匠の三味線に合わせて小唄を習った。『梅は咲いたか』『かみなりさん』『どうぞ叶へて』の三つの小唄を覚えて、師匠の小唄の会において皆さんの前で唄ったことがある。
『どうぞ叶えて』
どうぞーおぉー 叶えて くだしゃんせぇー
妙見さんにー 願かけぇえてぇ
帰る道にもー あの人にー
逢いたぁーいー 見たぁあいー 恋いぃしやぁーとー
こっちーばかりでー さきゃあしらーぬー
えぇー しんきらしいじゃあー ないぃーかいーなー
上記にニューヨーク以来の想い出を詳しく書くことができたのは、エルモの八mmビデオカメラの映像が残っていたお蔭である。ビデオや写真一枚が残っていることで、その当時の様々なことが、映像と共に蘇ってくるのである。
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