「「壷中の天」の投稿」

銀行の交流誌に『裾野』というのがあり、目黒支店時代に執筆のご指名を頂き、下記の投稿をした。

 「名古屋出身で東洋学を基本にした人物評論家に伊藤肇という人がおり、その人の『帝王学ノート』を読んだのは、柳橋支店赴任直前であった。その本で伊藤肇の師であった安岡正篤が中国の故事から作った六中観というものがあることを知った。死中有活、苦中有楽、忙中有閑、壷中有天、意中有人、腹中有書がそれであるが、中でも壷中有天に強く惹かれた。昔中国の如南の町の役人が一日の勤務を終え大通りを眺めていると、薬売りの老人が店仕舞いの後で店先の大きな壺の中に入っていくのを見た。不思議に思った役人が翌日その老人に問い質すと、老人は已無く役人を壺の中に同行した。壺の中は広々とした別天地で美酒佳肴に満ちており、役人は心ゆく迄愉しんでまた地上に還ってきたという。これが転じて壷中天ありとは現実の世俗的生活の中に自らが創っている別天地の愉しみの謂いとなった由である。

人はさまざまの壷中の天を持っておりそれを糧として世俗的生活を過ごしているわけであるが、私が名古屋において自らの壷中の天に付加し得たものを回顧してみると次の通りである。昭和美術館で見た長次郎の黒楽茶碗、犬山有楽苑の如庵、湖北渡岸寺の十一面観音、薩摩焼の鉢に植えられた小盆栽、パブロ・カザルスの『鳥のうた』、エゴン・シーレの絵画、デュビュッフェとポロックのモダン・アート、黒岩重吾の『落日の王子』と城山三郎の『冬の派閥』、それと小唄少々。以上が特に印象深いものである。これらの殆んどは名古屋で親交いただいた方々からお教えを受けたものばかりである。つまり人との邂逅によって私の壷中の天も些かの広がりを得たと思われるのである。ただ私の場合あまりに興味の対象が拡散しすぎており、個々の領域の広がりと深さを考えるとき、自らの中に真に壷中の天と呼べるものがないことに内心忸怩たるものがある。名古屋で親交を得た方々は皆それぞれに真の壷中の天を有しておられ、酒を酌み交わす中で組めども尽くせない味わいがあり、その方々の壷中の天はひとつの慥かな小宇宙を形成していたという感を今にして思う次第である。

伊藤肇は「いかなる壷中の天を持っているか、これがその人物の器量を決定する」と断じている。自らの壷中の天をひとつの慥かな小宇宙へと昇華させていきたいと念じている今日この頃である。 

八事家庭寮の桜


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