「初めての古寺巡礼記録」

 一九八二年五月に、本店営業部のO君の結婚披露宴が神戸の舞子ビラで開催されることとなり、同僚のSさんと私が招待された。そこで前日を京都巡りで過ごそうということとなり、前日から出かけた。当時の記録は、たまたま読書ノートに記していたものを見つけたものである。内容は下記の通りである

 五月一五日、土曜日。朝七時の新幹線で京都へ。Sさんと二人。京都駅には地下鉄が出来ており、様変わりとなっていた。タクシーで鷹峯へ。タクシーの運転手さんによれば、本日は葵祭とのこと。鷹峯では光悦寺を見る。この寺は一六一五年に徳川家康が本阿弥光悦に下賜。光悦を中心とする工芸部落が出来た。それらは作陶、書道、絵画、光悦謡本、蒔絵、茶道である。光悦寺の茶室、三巴亭、太虚庵。来訪者は極めて少なく三~四組。青葉の美しい中、茶席を見て歩く。楓の早緑が風景を一段と柔和なものにしてくれるようだ。宝物殿には光悦の茶碗、沢庵の書、光琳の蒔絵、益田鈍翁の茶碗などが展示されていた。

次いで大徳寺へ。最初に高桐院、次いで芳春院を見る。高桐院は細川三斎により、一六〇一年に建立された。三斎は織田、豊臣、徳川の三代に生き抜き、正室ガラシア夫人は明智光秀の息女。三斎はまた利休七哲のひとり。参道は自然石の敷石道で竹の手すりが作られている。この参道が実に整然としており、歩むに爽やかである。客殿南庭は楓樹を主とした野趣に富む庭であり、庭の左手の竹林と、右手の樹木が自然の壁を作っているように思われた。そして樹木の背が高いため、陽の光が木漏れ日となっている。これも計算のうちであろうか。ただ壁がないせいか、庭としてのまとまりがやや欠けていると感じた。

芳春院は一六〇八年に前田利家夫人・松子(芳春院)により建立された。前庭。花岸庭は禅院式枯山水の庭園。桔梗の庭とも呼ばれる。夏に咲く白紫の桔梗は一度見てみたい気がする。今は皐月の花が咲いていて、枯山水の庭としてはとても華やかである。呑湖閣は小堀遠州等が一六一七年に建てたもので、金閣、銀閣、飛雲閣と共に京都の四閣と言われる。

昼食は「一久」で精進料理を頂く。やや油が濃くて醤油の味が強い料理であった。大徳寺納豆を買って、大徳寺を退出した。

高桐院


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