投稿

「米国からの帰国の旅」

イメージ
  一九七九年の一月に長男は NURSARY の教室で三歳の誕生日会をやってもらった。英語はしゃべることはできないが、聞くことは一部出来ているらしく、保育園での支障はないということであった。同じく一月に Y 家に K 家、 S 家と一緒にお邪魔して、男性はゴルフをし、夕食会を楽しんだ。五月に帰国の内示があり、 I 家と I 家と一緒にチェリー狩りに行ったり、リバー・ヒル・タワーの S 家、 S 家、 M 家と一緒にメ―シー・パークでのバーベキュー送別会を愉しんだりした。 日本への帰国の旅は、ニューアーク空港からセントルイス経由ロス・アンジェルスへ、そこで二泊して、ディズニー・ランドを楽しみ、それからハワイに飛んで、シェラトン・ワイキキ・ホテルに二泊する予定であった。 ロス・アンジェルスでは N さんの紹介で M さんの車を借りて、ディズニー・ランドへ行き、スモール・ワールドや潜水艦巡りを楽しんだ。ところがハワイへの飛行機が機体に問題があるからということで飛ばないこととなり、やむなくロス・アンジェルスにもう一泊することとなった。やっとハワイのホノルル空港に着き、ダイヤモンド・ヘッドの見える眺めの良いセミ・スイートの部屋に入ったが、旅程変更のために神経を使い、頭痛で少しベッドに寝た。それから折角なのでホテルの部屋からワイキキ・ビーチに降りて、子供たちを遊ばせたが、早めに引き上げて部屋で休んだ。それからホテルで夕食を食べて、その後近くのアラモアナ・ショッピング・センターに出かけたが、幼児二人連れなので、すぐにホテルに帰った。ハワイは広島の母の生まれた産土の地であったが、私のハワイ滞在の記憶は必ずしも良いものではなかった。 ホテルからダイアモンド・ヘッドを望む

「紐育での読書」

イメージ
ニューヨークでは、読書と言えば「ドイツ・グラモフォンのレコード」に書いた下記の書物以外はほとんど読んでいないのは、今振りかえれば恐ろしく勉強不足であった。二〇代後半から三〇代前半における六年の貴重な期間を、教養を身に着ける重要な手段の一つである読書を放擲したままで、徒爾に歳月を過ごしたこととなった。   『名曲をたずねて』上・下巻  神保璟一郎    『ピアノ名曲名盤一〇〇』 諸井誠  『音楽を愛する友へ』 EDWIN FISCHER 佐野利勝訳  『主題と変奏』 吉田秀和  『一枚のレコード』  吉田秀和                   『音楽巡礼』  五味康祐  マンハッタン街並

「レイク・ジョージのプール」

イメージ
一九七八年の夏休みは、同年一月に生まれた次男と長男という二人の幼子連れで次男が幼児であったことから、ニューヨーク州のオルバニーからそう遠くないレイク・ジョージのプール・サイドで滞在型休暇を過ごした。その近くにある GOAST TOWN 、 FORT WILLIAM HENRY 、 PROSPECT MOUNTAIN HOUSE などを訪ねて遊んだ。 このアディロンダック山地にあるジョージ湖は、「アメリカの湖の女王」と呼ばれている有名リゾート地で、湖の南北は五二キロ近くあるそうだ。またウィリアム・ヘンリー砦はイギリス軍の植民地の寄りどころであったが、一八七五年の英仏戦争で包囲戦の後イギリス側が降伏をした。その後に、インディアンによるイギリス人降伏兵への虐殺があったところとして有名であるようだ。ウィリアムの名前は英国王ウィリアム三世から名づけられたという。 一九七八年の秋に、オーク・ヒルのアパートがレンタルでなくなるため、ハドソン川沿いの GREY STONE 駅のすぐ上にある、 RIVER HILL TOWER へ引越しをした。そこには S さん、 S さん、 M さんが入居していた。買い物は近くの HASTING ON HADSON などでしていたが、わずかな期間のみの居住であったためあまり思い出すことは沢山ない。部屋がオーク・ヒルの ONE BED ROOM から TWO BEDS ROOM に変わったこと、ベランダから冬の寒い日には氷結したハドソン川を眺めることができたことくらいであろうか。   Lake George

「雪の日のブロンクスビル」

イメージ
  次男の 誕生予定日は、私と長男の誕生日である一月一九日に近く、親子三人ともに同じ日になるのかと思ったが、実際には一月二六日であった。当日は雪の日で、私は会社に出ており、産気づいて入院するというのでブロンクスビルのローレンス・ホスピタルに向かった。しかしかなり時間がかかってやっと元気に次男が生まれてきた。Kという漢字には磨けば玉となるという意味があるそうで、それが気に入って命名をした。 一九七八年の四月には二歳三か月の長男と三か月の次男を連れて、五年振りに一時帰国をすることとなり、まず広島に帰り、それから今度は若狭の神子にある妻の実家に行き、二週間の一時帰国を楽しんだ。 浴衣姿の息子たち

「ニュー・ハンプシャーの夏」

イメージ
一九七七年の夏休みは、 NEW HAMPSHIRE 州にあるホワイト・マウンテン国立公園で過ごした。リゾート・タウン NORTH CONWAY 、 STORY LAND 、 MOUNT WASHINGTON のスカイラインからの絶景、モーテルに泊まり、 SIX GUN CITY と LOST RIVER 渓谷。それから LAKE REGION の LACONIA に泊まった。次の日は MASSACHUSETTES 州の CAPE COD に向かい、コッド岬で観光をする。コッドとは鱈の意味である。最後の日は RHODE ISLAND 州のジャズで有名な NEW PORT を見て回った。三つの州をこの夏はドライブ観光したことになる。 九月は BRONX ZOO に行き、一〇月は BEAR MOUNTAIN の紅葉を楽しんだり、 I 家、 I 家と一緒にリンゴ狩りに行ったりした。買い物は自宅から近い、 CROSS COUNTY SHOPPING CENTER や日本食材店の明治屋に行くことが多かった。 一二月には次男の誕生を控えて、日本から妻の伯母さんと妹がやってきたので、ダウン・タウンやバッテリー・パーク、そして自由の女神、 ROCKEFELLER CENTER などに連れて行った。   STORY LAND

「TANGLEWOODの音楽フェスティバル」

イメージ
  六月には、一泊で TANGLEWOOD の音楽フェスティバルを聞きに出かけた。当時のボストン交響楽団の指揮者は勿論小澤征爾であり、広い公園の真ん中にオープン・スペースの屋根付きステージがあり、そこで楽団は音楽を演奏する。周囲は芝生となっており、我々は芝生に寝転がって、小沢の音楽を楽しむことができた。長男はストローラーに乗ったままで大丈夫である。セントラル・パークでも野外音楽堂で芝生に座ってチャイコフスキーの『一八一二年』を聞いたことがあり、最後は花火が終楽章を飾ったのを見た記憶があるが、日本とは異なり色々な音楽の楽しみ方が、米国にはあるものだと感じ入った。小澤征爾と言えば、父親が満州事変に絡んだ服部征四郎と石原莞爾を尊敬しており、その名前から征爾と名付けたことで有名であるが、小澤征爾時は先日のテレビ(二〇一九年九月二二日)のインタビューで、「殻を破って外へ出るというエネルギーが大切である」と語っていた。ヘッセも『デミアン』の中で、次のように記述している。   「鳥は卵の中から抜け出ようと戦う。  卵は世界だ。  生まれようと欲するものは一つの世界を  破壊しなければならない。  鳥は神に向かって飛ぶ。  神の名はアプラクサクという。」 *アプラクサス : ヘレニズム時代に、アレクサンドリア周辺で最高神として崇められた。 TANGLEWOODの音楽フェスティバル

「バージニア州・ペンシルベニア州への旅」

イメージ
一九七七年の一月、 K 家に代わってお向かいに入ったのがジョンとメルセデス夫妻であった。まだお子さんがいないので、我が家の長男をとてもかわいがってくれた。米国生活ではプライベートで現地の方々とお付合いする機会が少なく、あとは同じアパートの元お医者さんのドクター・ディンゴールと奥さんのメリッツァの二家族でしかなかった。ドクターは米国生まれであったが、メリッツァはユーゴスラビアの生れで、米国への避難民であった。一度夕食に誘われたことがあったが、きわめて質素な生活をされておられる様子がよく分かった。 二月にはハドソン川上流にあるウェスト・ポイントの陸軍士官学校を訪れ、四月にはニュージャージー州の桜の名所・ブランチ・ブルック・パークへオーク・ヒルのお仲間とお花見に行った。メルセデスの実家にお呼ばれしたのも、この時期である。 五月の春の旅行は、まずはペンシルバニア州のデュポンの庭園、 LONGWOOD GARDEN を訪れ、米国独立戦争の大陸軍の宿泊所のあったバレー・フォージを見て、それからバージニア州の初代大統領のプランテーションのあったマウント・バーノンを見学した。新古典主義ジョージア調建築様式の邸宅であった。ついで SHENANDAUH 国立公園の SKY LINE PARKWAY をドライブして、シェナンドーの美しい山並みを満喫した。バージニア州からペンシルバニア州に戻って、チョコレートのハーシー・パークの遊園地とローズ・ガーデンで同じオーク・ヒル在住の K 家と S 家と出会い、そこでの観光をご一緒した。そこで両家とお別れして、ランカスターにあるダッチ・ワンダーランド、避暑地のポコノにある US メモリー・タウンを楽しんで帰宅した。一泊したのはよく覚えていないが、バージニアのモーテルであったろう。 Longwood Garden