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「詩集について」

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詩集を最初に読んだのは、『武者小路実篤詩集』であったと思う。これは高校生になってからのことである。それから『ゲーテ詩集』手塚富雄訳や『ハイネ詩集』井上正蔵訳を高校二年生頃に読み始めている。いずれも姉か兄が買っていたものを読んだように思われる。最初に購入した詩集が『バイロン詩集』阿部知二訳であり、それは昭和三八年の高校三年の時と奥付に記載している。それから大学入学までに、『ヴェルレーヌ詩集』『コクトオ詩集』堀口大学訳、『ハイネ詩集』片山敏彦訳を購入して読んでいる。  それから三年間は詩集の購入はなく、昭和四二年・大学四年生になって、『タゴール詩集』、『世界青春詩集』、『リルケ詩集』冨士川英郎訳、『ボードレール詩集』『アポリネール詩集』堀口大学訳、オマル・ハイヤームの『ルーバイヤート』、『ドイツ詩集』相良守峰、『村野四郎詩集』、『伊藤整詩集』『詩と随想 人生案内』歴程同人編、『立原道造詩集』を購読している。これらの詩集の中でよく親しんだのはゲーテ、ハイネ、バイロンであり、やはり恋愛詩であった。ゲーテはドイツ語の原詩を教会の神父よりお借りして、ノートに写し取ったりした。それ以外ではヴェルレーヌとリルケにも親しんで、ヴェルレーヌは改悛後の『叡智』という単行本の詩集を購読し、リルケは『オルフォイスに寄せるソネット』や『ドゥイーノの悲歌』にも挑戦した。ニューヨークでは『ドゥイーノの悲歌』の原本も購入したが、この本ドイツ語と英語の対訳となっており、少し斜め読みした程度でしかない。   「そうしましょうね? 愚か者や意地悪い人たちが、私たちの幸せを妬んだり、  そねんだりするでしょうが、   私たちは出来るだけ高きにあって、常に寛容でありましょうね。    そうしましょうね?「希望」が微笑しながら示して呉れるつつましい道を、  楽しくゆっくりと私たちはゆきましょうね、 人が見ていようが、または知らずにいようが、そんなことにはかまわずに。   暗い森の中のように恋の中に世をのがれて、 私たちふたつの心が恋の甘さ楽しさを歌い出すと、 夕ぐれに歌う二羽の鶯のように聞こえるでしょうね。」         ポール・ヴェルレーヌ  「そうしましょうね?」 ( N’est-ce pas? )                    

「文庫本の小説など」

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  大学生時代は、家庭教師をしながら小遣いを稼いでいたが、小説を買うのは安価な文庫本と決めていた。よく購入していたのは、同じ京橋通りにあった黙平堂であったが、金座街や本通りにあったフタバ図書、金正堂、丸善、広島書店でも購入をしている。学生時代に購入したものは殆どが新潮文庫専用のカバーや、その他包み紙の奇麗なものでカバーを作って文庫本に着せており、それぞれに愛着があり、処分せずに今まで保存してきた。かなりの文庫本には奥付に購入年月日と店名を書いておいたので、それに従って今手元に残している思い出深い文庫本を整理してみた。別に昭和四一年度、大学三年生の時の読書リストと合算すると、読書した書物は以下の通りである。   (単行本) 『マルクス主義か宗教か』現代宗教講座編 『戦争と平和』トルストイ 『キリスト教』久山康編 『世界の大思想-デカルト』 『世界の大思想-ヘーゲル』 『ヘーゲルの論理学』松村一人  『思想の歴史 キリスト教とイスラム』 『三太郎の日記』阿部次郎 『嘔吐』『実存主義とは何か』サルトル  『世界の名著-キルケゴール』 『世界の名著 ニーチェ』 『沈黙』遠藤周作 『世界の大思想-アウグスティヌス』 『 Le petit prince 』 Saint= Exupéry (七九〇円)   (文庫本) 『愛と認識との出発』『青春をいかに生きるか』倉田百三  『哲学入門』『人生論ノート』三木清 『青春論』亀井勝一郎  『人生論』『性欲論』『光あるうちに光の中を歩め』トルストイ  『シジフォスの神話』カミュ 『創世記』  『クォ・ヴァディス』シェンキェビッチ 『夜間飛行』サン=テグジュペリ 『善の研究』 西田幾多郎 『心の糧』ヒルティ  『愛の無常について』亀井勝一郎(九〇円) 『春の嵐』『車輪の下』ヘッセ 『白夜』ドストエフスキー 『トニオ・クレーゲル』トーマス・マン 『新しき糧』アンドレ・ジイド 『神々は渇く』アナトール・フランス  『愛は惜しみなく奪う』有島武郎   「ただ愛するだけでは足らない。如何に愛すべきかを心得ねばならぬ。平民共も亦、否、獣畜でさへ、肉感的悦楽だけなら経験する。が純真なる人間が彼等と差等あるは特にこの点なので、彼は何らかの方法で愛を高貴なる藝術に作り上げて、それを

『翌檜物語』 井上 靖

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  宮本輝が初めて大人の小説を読んだのが『翌檜物語』であるそうだが、私にとっても同じような感覚がある。少年鮎太が大人になるまでの六編が描かれているが、中でも印象的だったのは少年鮎太に愛と死を教えた「深い深い雪の中で」の冴子と、気性の激しい「寒月がかかれば」の雪枝、そして華やかな若い未亡人である「漲ろう水の面より」の信子である。   「トオイ トオイ 山ノオクデ フカイ フカイ   雪ニウズモレテ  ツメタイ ツメタイ 雪ニツツマレテ  ネムッテシマウノ イツカ」 冴子 「寒月ガカカレバ 君ヲシノブカナ  アシタカヤマノ フモトニ住マウ」  鮎太 「信子の言い方を以ってすると、多くの人間は大抵翌檜  だが、大きくなって檜になる歴とした檜の子もその中  に混じっている。ただそれの見分けがつきにくいこと  が問題だと言うのであった」 「誰が檜の子かしら。大澤さんかしら、鮎太さんかしら」  そんなことを信子はよく言った。」          井上 靖 『翌檜物語』 二の丸庭園(東京)

「大学一、二年生の頃の読書」

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日記を書き始めたのは大学時代だと思いこんでいたが、いま原本を見てみると高校三年生の昭和三八年(一九六三年)一〇月からであった。 日記の一部には昭和三九年から四〇年にかけて、大学の一、二年生の頃に読んだ本の一部も記載しており、またそれらの中で感銘を受けた文章も書き写している。読んだ本の内容は下記の通りである。 『草枕』夏目漱石  『クロイツェル・ソナタ』トルストイ 『氷壁』井上靖  『挽歌』原田康子   『ヴェルレーヌ詩集』ヴェルレーヌ 『星の王子さま』サン=テグジュペリ   『大地』パール・バック 『風と共に去りぬ』マーガレット・ミッチェル  『青年』森鴎外 『ロミオとジュリエット』シェークスピア  『刺青』谷崎潤一郎 『誰が為に鐘は鳴る』ヘミングウェイ 『斜陽』太宰治 『三四郎』夏目漱石 『たけくらべ』樋口一葉 『真理先生』武者小路実篤  『愛の渇き』三島由紀夫 『アルト・ハイデルベルク』マイヤーフェルスター  『ファビオラ』ワイズマン 『愛の無常について』亀井勝一郎 『二十四の瞳』壷井栄 『エセ―』モンテーニュ 『翌檜物語』井上靖 『暗夜行路』志賀直哉  『足長おじさん』ウェブスター 『ハムレット』シェークスピア 『坊ちゃん』夏目漱石  『赤と黒』スタンダール  『風立ちぬ』堀辰雄 『肉体の悪魔』レイモン・ラディゲ 『デミアン』ヘッセ  『氷点』原田康子 『美しさと哀しみと』川端康成  『青年』森鴎外  『共産党宣言』『新労働と資本』『賃金 価格 利潤』  カール・マルクス  『共産主義の諸原則』 エンゲルス 『国家』ラスキ   キューケンホフ公園(オランダ)

「太田 蜀山人の狂歌」

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大學ではサッカー部に入ったが、サッカー部時代の合宿生活で、印象深い思い出がある。合宿の打上げ会で、二次会は医学部の先輩の知っているスナックへ行った。そのスナックは医学部出身の医者がオーナーで、新しく出来たばかりであった。壁は真っ白で、そこに落書きができるようになっており、オーナーとその医者仲間がサッカー部の誰でも、何かいい言葉を書いてみろと言う。そこで私が手を上げて、太田蜀山人の次の狂歌を書いた。   「世の中に酒と女は仇なり どうぞ仇に巡り逢ひたい  太田 蜀山人」    お医者のオーナーグループからやんやの喝采を受け、その夜の我々の勘定はそのグループよりのご馳走ということになった。そのスナックの名前は、忘れもしない「アルト・ハイデルベルグ」であり、ハイデルベルクは香港勤務時代に初めて欧州旅行をしたときに、一泊したドイツの大学都市であった。   <太田 南畝> 1749年~1823年 天明期の代表的文人、狂歌師である。御家人として、勘定所に勤務、随筆・狂歌・漢詩を多く残した。 椿山荘

「映画音楽について」

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  映画と言えば邦画ではなく洋画であったことはすでに述べたが、映画音楽と言えば洋画のテーマとなった音楽であった。兄が『スクリーン』という月刊誌や『月刊 映画音楽』を購入していた影響もありよく聞いていた。今でも手元にそのシートが数枚入っているその雑誌が残っている。昭和三十五年(一九六〇 年)代を中心に、記憶にある有名な映画音楽をあげると、『エデンの東』のテーマ、『慕情』の「 Love is a many splendored thing 」、『太陽がいっぱい』のテーマ、『ティファニーで朝食を』の「 Moon River 」、『激しい季節』の「 Temptation 」、『刑事』の「 Sinno’Me Moro (死ぬほど愛して)」、『ブーベの恋人』のテーマ、『愛情物語』の「 To Love Again 」、『真昼の決闘』の「 High Noon 」、『ひまわり』のテーマ、『シェルブールの雨傘』の主題歌、『男と女』のテーマ、『卒業』の「 Sound of Silence 」、そしてレナード・バーンスタイン作曲の『ウェスト・サイド・ストーリー』の「 Tonight 」、「 Maria 」、「 Cool 」を始めとする名曲の数々。これらの映画の中で印象に残っている女優としては、すでに名前を挙げた女優を除けば『激しい季節』のエレオノラ・ロッシ・ドラーゴの美しさと女の命の激しさ、そして『ブーベの恋人』のクラウディオ・カルディナーレの個性的な美とアンニュイな女らしさであろうか。  一九六〇年代まではかなり流行していた音楽のジャンルで、今は流行っていないものとしては、シャンソン、カンツォーネ、コンチネンタル・タンゴ、ボサノバなどがあげられる。そうして洋画においても、当時はフランス映画やイタリア映画がかなり日本にも入ってきており、どちらかというと米国映画より質の高いものが多かったが、今では世界中がハリウッド映画に征服されたかのようである。邦画と日本のアニメ映画、邦楽そして J ポップスなどが日本やアジアにおいて流行していることは、ありがたいことだと思う。 マンハッタンの南端

「洋画 『草原の輝き』など」

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高校生時代に記憶に残っている西部劇映画はジョン・ウェイン監督・主演の『アラモ』、スティーブ・マックイーンが若々しかった『荒野の七人』などである。マックイーンはテレビ番組の『拳銃無宿( WANTED DEAD OR ALIVE )』でも有名であった。  大学生になってからは憧れの女優であったナタリー・ウッド、ウォーレン・ビーティ主演の『草原の輝き』、同じくナタリー・ウッド、リチャード・ベイマー、ジョージ・チャキリス、リタ・モレノが演じた作曲レナード・バーンスタイン、監督ロバート・ワイズ、振付ジェローム・ロビンスの『ウェスト・サイド・ストーリー』は三回ほど見た。後にニューヨーク勤務となった折に、ウェスト・サイド地区の恐ろしさを知ることとなった。  大学四年生かもしくは銀行に入った頃に見た映画で印象的なのは、リュドミラ・サベリーエワの『戦争と平和』、そして『ひまわり』である。『ひまわり』の方はソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニが共演であったが、ロシア人女優での最高の華はリュドミラ・サベリーエワではなかろうか。『男と女』のアヌーク・エメも色っぽかったが、アニエス・ヴァルダ監督の『幸福』を演じたマリー・フランス・ボワイエもしっとりとした清楚な美しさを持った女優であった。   Splendor in the Grass William Wordsworth Though nothing can bring back the hour  of splendor in the grass, of glory in the flower, we will grieve not. Rather find strength in what remains behind. 草原の輝き ウイリアム・ワーズワース 翻訳:高瀬鎮夫(たかせしずお) 草原の輝き 花の栄光 再びそれは還(かえ)らずとも なげくなかれ その奥に秘められたる力を見い出すべし シカゴの夕焼け