「『万葉のうた』 岩崎ちひろ挿絵 著者は大原冨枝」

茜指す紫野行き標野行き 野守は見ずや君が袖振る  額田王女

紫の匂へる君を憎くあらば 人妻ゆへに我恋ひめやも  大海人皇子

 大阪外国事務課へ転勤して以来、岩波新書の『万葉秀歌』上下・斎藤茂吉著を購入して、万葉時代の歴史を紐解きながら、万葉集の中でも相聞歌や挽歌の秀歌を暗唱できるように読みこんでいた。そして生涯の伴侶に最初に贈ったのが、万葉集の相聞歌であった。

 妻の実家は、若狭の三方五湖の先に延びている常神半島にある。

若狭なる三方の海の浜きよみ いゆきかへらひ見れどあかぬかも

(若狭の三方湖の浜は清らかなので、行きも帰りも見るが見飽きることはない)

      詠み人知らず  『万葉集』 巻七 一一七七

 常神半島の由来は神功皇后を祀る常神社によるものと言われ、半島の先にある御神島には神が宿っていて、様々な厄災から人々を守ったという。『古事記』には、神功皇后が熊襲征伐に向かう時、角鹿(敦賀)を出て淳田門(ぬたのと)で食事をしたとき、鯛が沢山寄ってきて、神功皇后がお酒を与えると鯛がまどろんで皆浮かんできたという。それ以来、常神半島辺りでは五月になると鯛がよく釣れるという「まどろみ鯛伝説」があるという。神功皇后は息長一族に属しており、古代には近江国坂田郡を根拠地にして、若狭や敦賀一帯を治めていたという。

以下は私見であるが、神功皇后の神から由来しているという説明も肯けるが、表日本であった若狭一帯は朝鮮半島からの入り口でもあり、常神や神子という名前についている神は、韓の国からの渡来人を神として受け入れたという背景もあったのではなかろうか。

神子の海辺


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