「彌勒との逢瀬」 (詩集『憧憬』より)
このいかるがの尼寺におわすのは
「いづれを君が恋人と分きて知るべき術(すべ)やある」
と歌いながら
猫柳のしなだれかかる川面に入水したオフェーリア
ではなくて彌勒さまです
半跏思惟の姿で世の平安を祈願し瞑想している
彌勒さまです
貴方と初めてお逢いしたのはおとどしの神無月
秋ののびやかな日差しの殆んど入り込まない
博物館の一隅で
貴方は私を待っておいでになった
その柔らかな口もとの微笑み
貴方はまことに心の深いところから
そうしてそのまろやかな姿態すべてで
微笑んでおられる
笑みというものがこのように素直に
しかも心の奥底から湧いてくることも
ありうるのだということに
私は心打たれました
そうして今また
貴方の足元に跪いて
貴方の高貴なお顔を見上げると
私の奥深いところで
貴方の瞑想してこられた長い歳月が
甦ります
聞こえるのです
貴方の中から大和民族の
歓喜と悲哀の長い尾を引く声々が
御仏を前にして私たちが敬虔になるのは
私達個々の生を乗り超えた
大和民族の悲喜交々の声を
私達が御仏の中に見出すからでありましょうか
その時私達の声も
御仏が未だ過ぎやらぬ彼方の時空へと
お運びになるのだと
思われるからでありましょうか
彌勒さま 貴方の中に溶けこんで
私は過去と現在そして未来の
全ての時空に触れるのです
私の中には永劫のしるしがない
緑の葉を陽が透かして
貴方のみ姿がさわやかな秋の風に
浮かんで見えます
ひとときの逢瀬が私の心を和ませます
見仏聞法
卑小なる人智により永劫を見出すのではなく
御仏のおおらかな慈悲に包まれて
永劫を感ずること
これこそが私達に許された唯一の法悦なのだと
私は今にして思います
敷島の大和心に
私の中に棲まぬ永劫に
そして私達をはるかに超えた時空にと
貴方は私を導いて下さる
彌勒さま
貴方の前で私は永久(とこしえ)に
私を失いつづけたいものです
この二つの散文詩らしきものを読み返すと、仏像・大和民族・見仏聞法・永劫・星々・崇高と永遠・天体(大宇宙)・私という天体(ミクロ・コスモス)・清浄・聖なる誕生など、私が平成の終わりの年に上梓した『日本美への彷徨』の内容と相通ずるものがある。精神的に進歩がないというべきか、青少年時に形成された人間性は一生の間殆ど変わらないものであるか、そのどちらかであろう。
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